ナイジェリアの過激派グループ、ボコハラムがナイジェリアの警備隊、村々、教会、モスク、市場、英語使用の学校を攻撃したり、北部ナイジェリアの有名なイスラム教聖職者をターゲットとして殺人事件などをおこしニュースを賑わせているこの頃である。このグループはいったい誰なのか、元々の発祥は何なのか、彼らが真に掲げていることは何なのか、これらを理解するのはいろいろな要因のため難しい。要因のいくつかをあげると、ナイジェリア内の数々の攻撃により、人々が恐れ慄いている環境であること、噂や陰謀説などをかもし出し誇大化されるのがナイジェリアの政治的体質であることなどである。ボコハラムのイデオロギーには4つの特徴がある:西洋教育のいくつかの局面に対する反対;ナイジェリアの近代の世俗的な状況に反発;昔のイスラム教帝国、即ち今のナイジェリア北東部を支配したボルノ帝国と同じようなイスラム教支配権の国を築く望み;そしてその目的達成の為には暴力(過激的ジハード)をもいとわないことである。ナイジェリア北部地区でシャリア[回教の法律、経典]を総合的に実行する事は全くの失敗に終わった。その理由は選択的で一貫性のない正義感、政治的腐敗や制度の乱用などにより、改革活動グループの指導者達に対して一般市民の信頼感が喪失し幻滅感をももたらしたのが理由である。この失敗による幻滅感がボコハラムのような過激派グループの発生に寄与したのである。1980年代にムスリム間の暴力的紛争が始まり、1980年代の終わりにはクリスチャン対ムスリム間の暴動、暴力事件が大学キャンパスで主に学生グループにより引き起こされるようになった。このような紛争は1990年代、2000年代をとおしてさらに激しさを増した――ナイジェリアの「血の10年間」の恐ろしい暴力行為はあらゆる者により引き起こされたのである。ボコハラムはリクルートと活動のために、現状のこのような問題をうまく利用しているのである。つまり地区、州、連邦機関の虚弱さ;貧富差の拡大;噂や陰謀説を育む環境;州や連邦の役人が残虐さを無視したり軽視する傾向にあること;、警備隊の無能力さと非職業的態度;警察の蔓延した腐敗、堕落、共謀;司法制度に対する信頼性の欠如、ビジランチズム[自警主義]及び不道徳の風習文化、これらを巧く利用しているのである。クリスチャンとして誘惑に負かされぬよう気をつけるべきことは、ボコハラムのようなグループがイスラム教の真の顔であるというような議論でステレオタイプ化したり問題視することである、さらに重要なことは、イスラム教、またはコーラン、またはモハメッドが問題であるというような語り口は無益であり無力でもある。もし、これらが問題であるならば、その解決策は何なのか?宗教としてのイスラム教を排斥しコーランの使用を禁止するのか?ムスリムをステレオタイプ化しイスラム教を問題視するのはムスリムを遠ざけたり、「彼ら」対「私たち」の[対立]状況を生み出す。この状況はまさしくジハーディストが唱え、達成しようとしていることなのである。ナイジェリアの教会一般、および特に北部ナイジェリアのクリスチャンに対する圧力はかなり厳しい。短期的には、ローザンヌのような福音伝道の運動は地方および国際的なエキュメニカル、及びインターフェイスのグループと協力して暴力に終止符をうちコミュニティーをまたがった橋を築くべきである。北部ナイジェリアの多くのクリスチャンや、特にペンテコスタル/カリスマ的な流れのナイジェリア教会は牧師、専門家、カウンセラーなどの援助により益をうけるであろう。またより深い神学的な考え方を学ぶのも彼らの益となろう。というのは、この頃蔓延している繁栄の福音は、苦しんでいる人、迫害を受けている人、紛争を目撃したり、その真っ只中にいるクリスチャンたちには何の助けにもならないからである。最後に、ボコハラムのような脱世俗化グループは、もっと前に話し合われているべき問題、つまり社会世俗化の影響や宗教的献身に関して、福音伝道派に対し呼びかけ、話し合おうとしているのかもしれない。言い換えれば、世俗のデモクラシーにより統括されている多元的な国の市民、そして信者とは何かということを厳粛に対話する必要があるのである。