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「宣教学」に関して言えば、福音派は特有のパラドックスに直面している。真の福音主義キリスト教において、「宣教」の中心的な重要性は聖書的、神学的、実際的に益々評価されてきている。それにも関わらず、バイブル・カレッジや神学校で最も重要となる「宣教学」のプログラムの多くが、その科目名から「宣教」という文字を取り除くようなってきた。

アメリカやその他の国において宣教学を教える学校は、南側および東側諸国における福音主義の教会リーダーや宣教学研究者を引き付けてきた。これらのリーダーや研究者たちは、かつては宣教の対象であった自国の教会が、今や宣教と教会成長の世界的な最前線にあると認識している。また、これら世界のリーダーたちは宣教学および神学的考察において、斬新な洞察や展望を示し、また革新をもたらしてきた。重要な強調点は「全体論的変革」であった。

それにも関わらず、このようなキリスト教の世界的な拡大や、広範な公的領域への取り組みでは、西欧による帝国および植民地支配、操作、圧政を被った土地においては、「宣教」という言葉は汚れているという認識が伴ってきた。従って、宣教という名前が顕著に変えられている事実はそれほど驚くべきことではなく、結果として、かつての「宣教学部」から「国際文化学部」へとその名前を変えるようになってきたのである。

現在、宣教学は聖書的、神学的考察における周辺領域からその中心へと移行し、全体論的宣教を強調することに重点が置かれるようになり、優れた聖書関連書籍、神学書に彩りを与えている。これにより、神学的には、神の「御国」や「支配」といったことが強調されるようになってきた。

また現在では、行動としての宣教学に強い関心が持たれている。南側および東側諸国のクリスチャン・リーダーや宣教師は、効果的な福音伝道から経済的な不平等といったことに至るまで、そのような問題に取り組む際の従来の調査方法にしびれを切らしている。彼らは変化をもたらすものとして、自身の働きやその分野を全体論的宣教に変化させるような、新しい研究モデルを取り入れている。宣教学では、「アクション・リサーチ」や「プラクティショナー・リサーチ」といったものを取り入れ始めている。研究資金拠出の決定に関して言えば、高等教育当局による「影響力」を考慮する際、宣教学において実践的な研究、また実践者による研究の重要性が増してきていることは時宜にかなっている。
宣教学、宣教的取り組み、また宣教教育に対する理解が変わることによって、バイブル・カレッジや神学校におけるカリキュラムは顕著に変化していくだろう。特に西欧以外における宣教教育は、全体論的変革や、宣教学の聖書的、神学的中心性、また、トランスフォーマティブ・アクション(意識変容の行動)を取り入れた研究手法を強調していくだろう。

ローカルおよびグローバル宣教に対して関心が高まっていることにより、社会的、政治的、発展的、国家的、そして国際的な影響があるだろう。このように現実が明らかにされる中で鍵となるものとして、教会は自身のアイデンティティやメッセージ、ミッションについての理解を求めようとするだけでなく、神のご支配に仕えるために、そのような理解を、より効果的な行動をとるために用いようとするだろう。

また、宣教学や全体論的変革が強調されることにより、従来の教育への取り組み方を見直さなければならなくなるだろう。現代の大学は、かつてないほど複雑化する知識体系に取り組むために、専門分化の必要という点では大いに発展してきた訳であるが、全体論的変革が強調されることにより、これまでの流れに抗うような、学際的研究や協調性の進展が迫られていることが示されている。

宣教教育が大きく変わろうとしている今、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、そして東欧出身のクリスチャン研究者の貢献により、計り知れないほどの重要な知識、知恵、そして効果的な実践方法というリソースがもたらされるだろう。このような溢れんばかりの専門的知識を進展させたいと願うのであれば、研究機関は今や、彼らの貢献を確かなものとするために動き出さなくてはならない。しかし、このようなグローバルな多様性を追及する際は、管理者から教員、学生に至るまで、研究機関の高度な全体構造の一部にグローバルな多様性を実現させ、西欧の大学ではびこっているような、単なる表面的、多文化的、政治的に妥当な組織というものを乗り越えなければならない。

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